2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧
「蜂蜜をたっぷりかけた食パン」を無性に食べたくなり、自転車で片道1時間かけてパンを買いに行く。帰り道に寄ったスーパーでふと目にした出し巻き卵も衝動買いし全行程3時間の自転車ツーリング(?)を終え、存分に食べる。食べた後何とも言えない充足感に包ま…
早朝の二時間だけが落ち着いた気持ちでゆったりと過ごせる。それを過ぎると様々なものに煩わされながら生きることになる。そんなものかもしれないが、一日中ああいう気分で穏やかに過ごせないものだろうか。
食べるという行為には「口寂しさを紛らす」という部分が非常に大きい様な気がする。本当に必要で食べるという部分が実際にはどの程度あるのかを冷静に見極める必要がありそうだ。
「食欲」という本能的な部分に向き合うことで自分自身が見えてくる。自分はどうしたいのか。どう生きたいのか。感覚を研ぎ澄ましていくことで、自ずと見えてくるのだと思う。あれこれと思い煩う必要はない。然るべき時に向こうからやって来る。自然。自ずと…
1日1食にするタイミングを模索している。それはきっと身体が教えてくれる。準備が整うのを焦らず待つこと。身体の声にひたすら耳を傾ける。
見た目を気にするというのは周りの価値観に支配されているということ。自分の感性を主体とすることでそこから抜け出せるかもしれない。パソコンをやめテレビをやめ時計を止めた。世間の常識的なものから離れてみると自分が見えてくる。ただ自分の感性、直感…
部屋の時計を止めた。4時6分。一番好きな時間。午前でも午後でも。部屋に静寂の音がした。
食欲をコントロール出来るということは、身体をコントロール出来るということ。身体をコントロール出来るということは人生をコントロール出来るということにならないか?
今週末は土曜日半日稼働で休みが短かかった。しかしとても充実感のある休日だった。先週は三連休だった。しかし後半、ひどく情緒不安定だった。充実度と時間の長短は関係無いのかもしれない。これは休日のみならず人生にも言えるのではないか?ほんの僅かな…
ひとりで楽しむことをひたすら追求していくと、なんだか人生が楽しくなってきた。身体に従い、自分の感性に素直になる。
ふとした不安が心をよぎる。なんでもないさ、と言い聞かす。よくあるいつもの事。
テレビを部屋から撤去する。じっくりと身体と向き合うべく。
夜があまりに涼しく、夜中に何度かトイレで起きる。朝になっても頭が呆として疲れが抜けていない感じ。これはまずいと風呂にじっくり入り、さらに厚着で足湯をして汗が出てくるとスッキリしてくる。さらに汗をかくべく身体をほぐし軽く筋トレ、しばらくぶり…
最近、五感が鋭くなってきた。それと同時にそれまで気にならなかった事も気になってきた。一長一短。例えば匂い。昨日は風呂に入っている時に台所でフライパンが焦げているのに気付いた。音も虫の声、鳥のさえずりが以前よりよく聞こえる。眼は視力自体は変…
触れられたくない事を触れられたくない相手に限って触れてくる。だが所詮それも自分自身の問題なのだ。相手がどうこうではないのだ。自分が試されているのだろう。自分の覚悟を。動揺しているようなレベルでは話にならないのだ。環境ではない。全て自分自身…
本当に必要な時に手を差し伸べよ。さもなくば只のでしゃばりと心得よ。
心が荒れる。(イライラ、不安)↓食が荒れる。(食べ過ぎ、甘いもの)↓身体が荒れる。(皮膚、胃腸)↓…この悪循環。不意にはまり込む。
どうにも駄目な日というのはある。何をやってもリズムが狂う。そういう日はじっとしていればいいのだが、そういう日はじっとしていられないのだ。退屈さに耐えられないのが人間の最大の欠点とはよく言ったものだ。だから座禅や瞑想が存在するのだろう。今の…
何かをしていてもいいし、何もしていなくてもいい。
昨日の野菜カレーを楽しみにしていたら、この暑さで傷んでいた。大ショック↓。昨日はほとんど食べていないだけに暫く立ち直れず…。その後も何をしても苛立つばかり。コントロールがまだまだ全然できない。こだわりは執着となりはて自分自身を苦しめる結果に……
身体の声に素直に耳を傾けること。これがまだまだ難しい。つい頭の欲が前に出る。それは「焦り」の感覚と似ている。何かに追い立てられ穏やかではいられなくなる。結局自分自身が作り出したもの、選択したものなのだ。昨日は夜は食事をせずに(昼のみの一食)…
料理をしているとそれだけでお腹が膨れてしまう。これはあり得ることだな、と思った。調理場にはプラーナが充満しているのかもしれない(笑)。
夏野菜を使ってカレーを作る。茄子、ゴーヤ、ピーマン、大豆に知人のおすすめの「玄米カレールウ」を使う。これまた上出来。うまい!
今夏は何故か蛇と縁がある。今日は床下に潜っていく50センチくらいのシマヘビ(?)を目撃。自分の部屋の真下に蛇がいるというのも何か妙な感じ。
ほんの少しずつ日常の何かを変えていく。日々更新していく。少しでいいのだ。誰にも気づかれないくらい少しで。この「少し」が幸福と呼ばれるものの鍵ではないだろうか。
ここ数日やっていなかったにも関わらず、3点倒立の精度が上がっている。手の平をついての状態ならかなり安定している。肘つきでも以前よりだいぶいい。バランスのとれている時は本当に力はいらないのだな。バランスを取ろうなんてしなくても勝手に取れるも…
今日は普通の鍋で米を炊く。これはまた圧力鍋とは違い素朴な食感で良い。お焦げもほどよくある。美味い。