寂太郎のおぼえ書き

食べずに自由に生きたい。

鳳来寺山へ。

深夜2時に目を覚まし準備をして3時に家を出て鳳来寺山へ。

4時過ぎに駐車場に車を止め綺麗な星空の下、登り始める。虫の声、鳥の声、水の音のみの山中をライトをオフにして歩いてみる。この状態では眼鏡の有無はもはや関係ない。わずかな空からの明かりを頼りにゆっくりと歩を進める。

不意に山中から大きな音。鹿か猪だろうか。明らかに体重のある動物の気配。咄嗟にライトを点け、ホイッスルを鳴らして威嚇する。不思議と恐怖は感じない。あたりを見回してもこの暗がりでは何も見えず。襲って来る気配もないので、そのまま歩き出す。

筋力のすっかり落ちた体はゆっくりとしか進めない。しかし今はそれも嫌ではない。この体にあったやり方を見つけることが楽しみの一つになっている。

フラフラする歩みを無理に固めようとせず、それに添うように柔らかく歩くことを心掛ける。

こんな頼りない歩みでも時間をかければ山頂に達することはできる。今この瞬間の一歩のみを考え、過去とも未来とも比較せず今を最大限充実させること。この一歩をいかに気分良く踏み出すか。それだけで良いのだ。

「今=永遠」という意味がしっくりきた。

もうすぐ45才になる。そしてここに来て体は大きな変化を迎えている。ここが折り返し地点。なんとなくそう感じた。ということは自分は90才まで生きるということだ。これからの45年をこの体とどう向き合うかが鍵となるのは間違いないだろう。

体の使い方を大きく変える、それに伴い意識も大きく変わる変化点だ。

天気と身体。

台風の影響だろうか?身体にいろいろ不調が出ている。

仕事中、重いものを持ってしゃがんだ際に右膝に激痛。暫く立てず。しかし普通にしている分には全く痛みはない。

夕食はイチジクを食べ過ぎた。ブレーキがうまくかからなかった。そのせいか夜中に腰の痛みで目を覚ます。トイレと激しい雨の音でも目を覚ました。

もちろん早く起きることもかなわず、今朝は久々に目覚ましの音を聞く。朝には腰痛はひいていたが、身体はどんよりとしている。

雨の日は休みになればなあと毎回くだらなくも思う。

違う感覚。

今朝は早く出社して誰もいない休憩所で写経(笑)。

その際に今までとは違う感覚があった。

うまく言えないが書いていて書くことそのものになる様な、深く入り込む様な感覚。集中力が一時的に増したような感覚。

「無心」になるなんて言うけど、その取っ掛かりになるかもしれないと思える感覚だった。

「行為」そのものになる。いろいろな場面で応用が利きそうだ。

早起き。

少食がうまくいっていると睡眠時間が短くてすむようになってくる。

最近は4時間半ほどで自然と目が覚める。お陰で朝の時間が充実したものとなった。静かな環境で好きなことをやれている。

今日も3時に早起きして読書をしていたはいいが、時間を勘違いして1時間早く出勤準備を終えてしまった…笑。

お陰で1時間得した気分になれたが。

厄日。

昨日は京都の整体。駐車場を探していて後ろのバンパーをガードレールにぶつけてしまった。こんな事は初めて。凹みはしなかったがキズがついてしまった。

整体の後入ったカフェでは散々待たされたすえ、お目当てのものが無いと言われた。メニューには載ってたのに…。

典型的な厄日だったがことのほか落ち着いていられた。これは何かがまた大きく変わる兆しのように感じた。むしろトラブルを楽しむような心境でいると、帰りの道中には俄かに厄が過ぎていくのを感じた。

厄は誰にも起こり得るが早く去らせることができるのを発見。貴重な一日となった。

バンパーのキズはイエローハットの人に教えてもらい自分で直す。よく見れば分かるが遠目なら殆ど分からないくらいになった。これも良い経験。