自由意志。
自分の自由意志と相手の自由意志は本来なら衝突することはない…らしい。
自他の違いを認め、相手の自由意志を尊重することが真にできれば。
しかしながら現実には衝突しているように感じることが多々ある。
だがこれはよくよく考えると相手の自由意志を尊重しているつもりで自分の自由意志を押し付けているだけだったりする。
「相手にはこちらの自由意志を否定する自由だってあるのだ。」
この視点が抜け落ちるといつ迄も衝突することになる。
無意識の踏ん張り。
最近妙に足元がフラフラする。
筋力が落ちたせいかなと思っていたが、どうやらヨガの足首回しで足首が柔らかくなって踏ん張りがきかなくなったのが原因のようだ。
ちょうど柔らかいクッションの上に立っている、もしくは一本歯の下駄を履いているように不安定な状態になっている。
しかしながらこれは好都合だ。不安定さを使いこなす良い稽古になる。
それに如何にこれまで無意識に踏ん張っていたかを気づかされるきっかけにもなった。
もっと余分な力を抜けということだ。
したいことを。
その瞬間に一番したいことをする。
食べるのと一緒。一番食べたいと体が求めるものを食べるように一番したいこと、ワクワクすることを素直にする。
「ねばならない」から「したい」へ。
いろいろな状況で一番が選べないときは2番でも3番でもいい。その時のベストな選択をすればいい。
バイク日和。
車庫にしまいっぱなしの親父のバイクを出して久々に乗る。整備はマメにしてくれていたので、状態は文句無し。
先ずは身体慣らしで近くの公民館に借りていた本の返却。駐車場で朝市をやっていたので、焼き芋用にサツマイモを買うとおまけに茄子を一袋つけてくれた。ありがたい。
その後近場の山へツーリング。昔行った事のあるお寺で京都旅行ではまった写経をする。蝉の声を聞きながら実に良い環境だった。駐車場でスクーター乗りの爺ちゃんとバイク話。
今度は一転、街中へ。デパートで買い物。知人の働いている店で服を選ぶのを手伝ってもらう。そして前から一度寄りたかったオープンカフェで美味しいコーヒーを飲む。
その頃には天気も予報とは裏腹、太陽が出て来た。もうひとっ走りしたくなり、再び山の方へ遠回りして帰る。
運転感覚は昔乗っていたバイクと基本構造が同じな為、直ぐに戻った。
楽しい。本当に楽しい。そんな幸せな一日。
あたりまえの話。
自分が平穏に過ごしたいと思ったら、世の中が平穏である事がとても大切だ。
こんなあたりまえの事をふと思った。
そして世の中が平穏である為には、まず自分が平穏である事が大切だ。
そんなふうに繋がっているんだ。
自分が平穏でいる事は、大袈裟な言い方だが、それだけで立派に「社会貢献」なんだ。
平和という巨大なパズルのほんのワンピースになれたら、それはとても幸せなことかもしれない。