寂太郎のおぼえ書き

食べずに自由に生きたい。

2016-01-01から1年間の記事一覧

散歩。

朝、散歩。京都駅の屋上庭園で朝日を浴びながら瞑想もどき。それに何故か筋トレしてる(笑)。風鈴の音色が心地よいなと思っていたら、ボーズのスピーカーから出ていた音だった。

京都の人。

映画館で上映が始まってから入って来て、座る場所に困っている人に親切に席を詰めてあげる人。そんな人が京都にはいた。自分には出来そうにないなあ。でも大事な事だと思えた。京都タワーの前で托鉢(?)しているホームレスの人がいた。なんとなく500円あげち…

感度が上がる。

身体の感度が上がってきているそうだ。昨日整体でそう言われた。昨日の食べ過ぎによる首肩のコリなど食後3、4時間で症状が出て来た。感度が上がると症状が早く出て、また早く抜ける。以前の身体では鈍すぎて症状にすら気づかなかっただろう。ある意味これま…

眼について。

視力を回復させようと眼鏡をやめているが、どうもそれは違う様な気がしてきた。身体と同じで手がでしゃばると全身の力が使えなくなる様に、普段あまりに眼に頼り過ぎてはいないだろうか。特に眼は情報社会では酷使されている。程々に見えない方がかえって良…

意味の無い事。

何を食べたいか、などと考えることは全く無意味な事だ。自然界において、そんな自由意志はあり得ない。あるものを食べるだけだ。本能に従って。腹が減ってもいないのに今晩のメニューを考える様な真似はもうやめよう。

シンクロニシティの起こり。

今日は整体。丁度3ヶ月目。身体は順調に変化し今日で終わりでも良いと言って貰えた。整体後の待合室で驚く。この整体を紹介してくれた本人とバッタリ会う。しかも今回は一度変更してもらって、この時間にしたので余計に驚く。今回の京都旅行は驚きに満ちてい…

考察。

仏像や木の発する物は非常に微弱で、感度の低い自分にはまだ感じられないだけなのではないか?全身に電気が走る様なそういう物とは違うのではないか?

食べ過ぎの反応。

調子に乗って朝食を食べ過ぎた様だ。最近は直ぐに反応が出る。胃のムカつきは当然のことながら、肩首のコリにも反応が出る。整体の先生の言っていた通りだ。暫し休んで仮眠する。胃がグーグーと音をしだす。外側の動きを止めて内側の動きを優先する。

パターンを変える。

今日はハメを外す。いつもと食事パターンを変え食べたい時に食べる。ホテルで朝食も食べた。昨日の経験から疲れている時は甘い物をとにかく身体が欲する。今日はそれ程でもない。朝からスクワット100回できる元気がある。甘い物を欲している時は素直に従った…

寂しさ。

「寂しい」という感覚が久々によみがえる。そして寂しいと食べたくなるというのも改めて実感。かろうじてセーブしているが…。こういう時は早く寝るに限る。そして明日は満月。

エネルギーと感謝。

食べたい物が分からない時は疲れている時だ。そういう時は甘い物に目が行く。ある意味分かっているのだが、頭が否定する。今日の昼は正にそう。結局、蜂蜜のバームクーヘンとコーヒーというモロにデザート系を買って貪る様に食べる。すると驚くほどに身体に…

試み。

2泊3日の京都へ。今回は本を持たずに行く。眼鏡もかけない。情報をできる限り減らす試み。

負け。

今日は頭の「欲」の方に負けてしまった感じ。身体が急な不調にもかかわらず、食べてしまい更に食べ過ぎてしまった。身体を信じ切れなかった。お陰で口の中を噛み血マメが…。やはり不調だった様だ。いた仕方ない。

胃が小さく。

胃が確実に小さくなっているようだ。それまで普通に食べれた量が食べられなくなった。それにこの3日間昼は焼き芋一本のみ(塩や蜂蜜をつけて)。それで十分夜まで持つ。少食に日々、身体が慣れていく。そして体力もついてきているのか、昨日は10キロのスロージ…

心と身体。

みずから然り(心)とおのずから然り(身体)。心と身体。どちらも大事。車の両輪。或いはコインの裏表。どちらが欠けても成り立たない。支え合っている。

アップデート。

久々の10キロのスロージョギング。走り出しは足下がおぼつかない程の筋力低下を感じ、走れるかなと不安に思いつつもやれるとこまでやろうと走り続ける。ところが30分もすると体がシャンとして、終盤に至ってはペースを上げる位に元気に。僅か30分で体がアッ…

小さな変化。

誰とも比べることなく、結果に振り回されることなく、日々の小さな変化を感じること。楽しむこと。無限の時間の中で遊ぶこと。

嗜好品。

普段の食事も嗜好品と同様にたしなむ程度で良いのかもしれない。そのぐらいの量で丁度良いのかも。

急変。

今週に入って急に過食がおさまり、それどころか日に日に少食になっている。我慢している訳でもない。自然にそうなってきた。身体が変わったのだろうか?今後の経過を見る。

セーブ。

夕食時のストレス食いをこの2日間セーブ出来ている。実際セーブしてみると、まだ量が多い様に思えてくるから不思議だ。排便の量を見た時にも感じた。あとストレスの発散を過食に頼ることは無意味だというのもわかる。発散どころかかえってダメージを蓄積して…

空腹2種。

空腹には2種類ある。腹(身体)が求める空腹と口(頭)が求める空腹と。腹が求める時は何を食べたいかが明確にわかる。身体の声が聞こえる。このふたつを冷静に見極めることが重要。

時間とお金。

もっと時間があれば幸せなのにという考え方は、もっとお金があれば幸せなのにという考え方と根本の部分で何も変わらない。お金が無くても幸せな人がいる様に限られた時間しか無くても幸せな人はいる。お金も時間も執着すると苦しい。

怖れ。

完全1日1食成功。予想通りなんなくできた。だがまだ怖れている。夜は怖れから食いだめをするかの様に食べてしまった。まだ完全に身体に委ねることができていない。まだ頑張って食べている。どこまでこの身体を信頼して委ねることができるか。怖れをひとつひ…

なんとなく。

たぶん1日1食いけると思う。昨日なんとなくそう思えた。感覚的に。

蜂蜜をたっぷりかけた食パン。

「蜂蜜をたっぷりかけた食パン」を無性に食べたくなり、自転車で片道1時間かけてパンを買いに行く。帰り道に寄ったスーパーでふと目にした出し巻き卵も衝動買いし全行程3時間の自転車ツーリング(?)を終え、存分に食べる。食べた後何とも言えない充足感に包ま…

二時間だけ。

早朝の二時間だけが落ち着いた気持ちでゆったりと過ごせる。それを過ぎると様々なものに煩わされながら生きることになる。そんなものかもしれないが、一日中ああいう気分で穏やかに過ごせないものだろうか。

口寂しさ。

食べるという行為には「口寂しさを紛らす」という部分が非常に大きい様な気がする。本当に必要で食べるという部分が実際にはどの程度あるのかを冷静に見極める必要がありそうだ。

仲良し。

自然。

「食欲」という本能的な部分に向き合うことで自分自身が見えてくる。自分はどうしたいのか。どう生きたいのか。感覚を研ぎ澄ましていくことで、自ずと見えてくるのだと思う。あれこれと思い煩う必要はない。然るべき時に向こうからやって来る。自然。自ずと…

タイミング。

1日1食にするタイミングを模索している。それはきっと身体が教えてくれる。準備が整うのを焦らず待つこと。身体の声にひたすら耳を傾ける。